昨日は懇親会で、久しぶりに日本語で4時間ほど会話をしました。僕の最初の仮説は、日本語での会話は、ストレスがたまらないという仮説でした。しかしそれは少し違いました。実は気を遣うことで、わずかなストレスを感じました。その気を遣う要因として、2つの要因がありました。
1つめの要因は、日本語会話では、誰が年上で、年下か常に意識して話す必要があることです。立場によって、話す言葉が変わります。そのためにその人の年齢を、少しずつ特定していく必要があります。様々な年齢の人が入り交じった飲み会では、瞬時に言葉のモードを切り替えて、さらに年齢を推定していくのは、ちょっとしたストレスを感じました。2ヶ月ぶりに挑戦してみて、この日本語会話の特徴を思い出しました。
2つめの要因は、文化的なものかもしれないけど、年下の人は会話を控えるモードになって、言いたいことが言いにくくなることです。僕の場合は、どちらかというと、同調しようとして、本当に思っていることを言えなくなります。建前の割合が増える気がしています。
一方で、英語では、年上とか年下であるとか、考える必要がないです。さらに年下の人が、意見を控えるとかない気がします。結構気楽なもんです。実は英語の方が、ストレスがたまりにくい言語かもしれません。
2 コメント:
年上だからという理由だけで人を敬わない人間(例えばわたし)からすると、英語の方がかなり楽そうですね。
日本語における敬語は、誰にとって得なのやら疑問です。
ルミコさん、
英語の方が楽だと思いますよ。アジア系の人は結構そういう考えの人が多かったです。
韓国人が言っていたのは、工場労働とか、軍隊では、力を発揮すると言ってましたよ。有無を言わさず実行するのが必要な場面もあるでしょうし。よいところもあると思いますね。
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