2008年12月3日水曜日

Blog移行のお知らせ

MITの留学終了に伴い、Blogを移行します。

http://tokyomit.blogspot.com/

今後は、東京での生活を中心に記録していきます。

2008年12月2日火曜日

日本へおかえりなさい

日本時間12月2日に、東京に帰ってきました。

ボストンからワシントンD.C.を経由し成田へ向かう便で帰国しました。そしてワシントンD.C.から成田まで13時間ぐらい飛行機に乗りましたが、そのとき体格の大きいアメリカ人に囲まれて、圧迫されて、エコノミー席が、プチエコノミー席になりました。合計で4時間ぐらい寝たかもしれません。それ以外の起きてるほとんどは仕事をしていました。しかしせっかく飛行機に乗ったので、何か映画を見ようということで、Fred Clausという映画を見ました。Kevin Spaceyの演技が嫌らしくて好きですね。

家にも無事に着いて、留学はようやくこれで終わりです。Blogは移行予定なので、しばしお待ち下さい。

2008年11月30日日曜日

No special training

アメリカに特別な教育プログラムが存在していて、それを受けると、能力が大幅にアップするという気持ちでアメリカの大学院にくると、肩透かしをくらうかもしれません。なぜなら僕のように4ヶ月間留学する人に向けて、何か特別なコースがあったわけではないからです。研究室は自由でトレーニングはないし、授業は全くない、英語をあまり話さずに、そして何も研究をせずに生活できてしまいます。

1.研究室
(a) 先生
基本的にアメリカの研究室の先生は、あまり管理しないそうです。僕が所属していた研究室の先生は、子どもが生まれたばかりで、週に2回しか学校に来ていないこともあって、先生との接点はあまりありませんでした。子どもが生まれる以前から、全く学生を管理しない先生だそうです。ということで、特別に何か教えてもらったことはありません。

(b) 研究室の仲間
基本的にみんな個人行動をしていました。研究室の仲間で一緒に食事に行ったりすることは、非常に珍しかったです。朝来たときや帰るときに、わざわざ仕事を中断させて挨拶することも稀です。みんなの仕事を邪魔しないようにとの考えです。そして、いつまでもダラダラと研究室で話していることもありませんでした。話すときは、研究室の外で話していたような気がします。これも日本と全く違うかもしれません。

(c) 研究室教育
僕のいた環境では、待っていたら、向こうから教えられることもありませんでした。自分で考えて、人を選んで聞いていく必要がありました。「研究の進め方」、「仕事の進め方」、「文書の書き方」、「デバイスの設計方法」を教えてもらったことは皆無です。こういうのは、日本だと、待っていても、教えてくれることがありました。そういう意味では、日本の方が丁寧なのかもしれません。

(d) 研究室ミーティング
一般的な研究室では、1年に2, 3回自分の研究を発表するぐらいだそうです。毎週ミーティングの度に発表する必要がある研究室というのは、かなり珍しいようです。その珍しい研究室とは、日本出身のMITの先生のところだそうで、その研究室はMITの学生には、人気がないそうです。僕の研究室は、アメリカでもめずらしいことに、研究室でのミーティングは全くないそうです。アメリカに来るまで気が付いていませんでしたが、ミーティングの回数が多いのは、アジア的なものなのかもしれません。

2.授業
僕のビザだとMITの授業をとれないタイプのものでした。そして強制で何かの授業をとらないといけないこともありませんでした。クリーンルームに入るために、Web上でのトレーニングはしましたが、それだけです。

3.英語
(a) 英会話
ネイティブの友達は作りにくく、英語を長時間話す環境を構築するには、少しエネルギーが必要です。ネイティブの人が、「英語がうまく話せない僕のような人」と付き合う義理がないからです。加えて、授業もないので、短期で留学する人にとって、英語がネイティブの友達は非常に作りにくいです。何も手を打たなかったら、英語を話さないままに時間が過ぎていきます。僕の知り合いのボストンにいる日本人は、MITに来てから1年間、実験ばかりしていて、ほとんど英語を話さなかったので、英語力も上がらなかったそうです。

(b) 英語の授業
MITには、英語があまりできない人を対象にした英語の授業はありませんでした。どこかの学校に行かない限り、英文法、英単語、英作文、英文読解、リスニング, etc.の授業はないです。


留学して、何かを学びたいと思うなら、主体的に動かなければいけません。MITの僕のいた環境は、みんな自由に個々人で生活しており、日本にいたとき以上に自分から動き出さない限り、何も変わっていきませんでした。アメリカに来て、アメリカで一人で孤独に生活していると、何も得られないので、注意が必要です。この環境の中で、僕は何を得て、何が変わったのでしょうか?客観的な数字があって、留学の達成度をはかってくれるテストがあると便利ですね。

2008年11月29日土曜日

Bostonの水族館、New England Aquariumで、不思議な生き物たちに、出会った

昨日は、友達とBostonの水族館、New England Aquarium へ行ってきました。 入場料は大学生で$17.95もしました。結構高かったですが、変わったものをたくさん見られたので、行った価値はありました。動画をたくさん撮りました。その中から、不思議な動きをしていると思ったものを、6つ厳選してアップしておきます。

Cuttlefish(イカ)です。誰かの発音入り。

Turtle(亀)です。これも誰かの発音入り。


Balloonfish(フグ)です。

Seahorse(タツノオトシゴ)です。

Ray(エイ)です。

最後は謎の魚です。

なぜこの動きをしているのかものすごく気になるところです。

2008年11月28日金曜日

英語漬け

僕はボストンにいたときは、英語を使う時間をできるだけ増やして、英語を勉強しました。英語を使う時間を増やすために、種々の方法で、日本語でのやりとりを減らしました。極端なぐらい日本語で話すのを避けていました。ただ日本は好きですし。日本を避けているわけではありません。

そうした理由は、アメリカに来たときに、全然英語が分からなくて、この英語力では死んでしまうし、不利益を被ると思ったからです。なので生き残るためには、急速に英語力を上げる必要がありました。その英語力を上げる目的を達成するために、行動に反映させました。

具体的に英語力を上げるために、以下のことをやりました。まず英語話者の人と積極的に関わるようにしていました。そのためにあまり日本人との集まりには参加しませんでした。その回数は、多くて月に1回ぐらいでした。そして日本語の情報源を減らしました。邦楽は聴くのを完全に止めました。さらに日本語のテレビ、ドラマ、映画、アニメ、本は見ないようにしました。全部それを英語に変えました。日本語のソフトウェアも減らして、英語にしました。

結果としては、そうすることで英語力も上がったと信じています。しかしこれだけ努力しても、アメリカ人や周りの留学生に比べると、英語はまだまだ本当に下手なままです。悲しいことに、僕は4ヶ月間アメリカに住んでいて、英語がうまくなった、英語がうまいとは、ただの一度も言われたことがありません。みんな正直ですね。英語は、アメリカに住んで英語漬けの環境にしたとしても、うまくなるには5, 6年はかかりそうです。

2008年11月27日木曜日

アメリカにいたときの毎日の食事

僕のアメリカにいるときの食事は、偏食といえるかもしれません。

毎日よく食べているのは、以下のものです。ベーグル、フォー、チーズ、豆腐、ヨーグルト、りんご、トマト、たまねぎ、人参、ひよこまめ、鶏の胸肉、シーチキン、ソーセージ、スープ、水、豆乳、コーヒーとかです。かなり厳選していまして、これで通常摂取量の8割は占めています。あまり面白くはないのですが、そういうものを食べている限り、食べて疲れることはありません。外食すると、リズムが崩れて、疲れてくるので、かなり気を付けています。人と会うとき以外は、外食はしません。

今までいろいろなアメリカ料理にチャレンジしてきましたが、基本的に、アメリカ料理を食べるのが苦手なままです。まず量が多すぎます。そして野菜とスープが少なく、肉が多いのも苦手です。ハンバーガーもピザもポテトもあまり好きじゃないのです。また油っぽいもの、甘すぎるもの、甘い飲み物が多いです。消化するのに疲れたり、血糖値が急激に上がりすぎるのが気持ち悪く感じます。

僕の場合は、物足りないと思うぐらい少なくて、もっと素朴な感じのものの方が好きです。また少食な人と外食に行くのは、疲れなくて非常にいいですね。

日本人宅でThanksgiving dinnerを食す

今日は韓国人と一緒に、日本人の家へ、Thanksgiving dinnerを食べに行きました。友達の韓国人に「一緒に行かないか?」と誘われたからです。彼の車に乗って、ボストンの西側の街に行ってきました。彼の奥さんも一緒でした。

まず失態したのが、急に(今日の朝)呼ばれていったのと、今日はThanksgiving dayでお酒を売っている店がやっていなくて、何も買わずに出かけたことです。家に、人にあげられるものを置いていなかったのです。しかしパーティーに呼ばれたときは、何かを持っていくべきでした。うーん。もっと先読みする力があれば…。

参加者は、10人いまして、香港人が1人、韓国人が2人、ロシア人が1人、日本人が6人です。こういうときの会話は英語+日本語です。集まっている外国人が日本好きなので、ときどき日本語になります。さすがにみんなアメリカに数年間住んでいたのもあって、英語が非常に滑らかです。それに比べると、僕はまだまだだなあと実感しました。スピードも遅く、発音も悪いですし、使える表現も少ないです。日本に帰国後も、もっと英語の勉強が必要です。

さて食べたものは、アメリカの伝統的なThanksgiving dinnerを再現できているような気がしました。メインは、七面鳥1羽分20ポンド(=9 kg)をオーブンで焼いたものです。ソースはクランベリーソースです。味は、風味が思ったより少ない感じがしました。鶏肉の方がおいしいような気がしました。他にはハッシュドビーフやマッシュポテト、チーズケーキ、パンプキンケーキもありました。それぞれはおいしかったです。ですが、理由はよくわかりませんが、食べた後に、ものすごく疲れてきました。僕の身体には、合わないのかもしれません。そして量が多いので、結局10人で食べても、大量に余ってしまいました。

アメリカから帰る前に、伝統的なThanksgiving dinnerが経験できて、とてもよかったと思います。日本で食べるのは非常に難しそうです。誘ってくれた人と、作ってくれた人には感謝です。

2008年11月26日水曜日

昔在籍していた研究室の話  気合でゴー!

大学の研究室は、研究室を運営している先生の性格次第で、どのようにも変わります。僕は今までで、共同研究をしたことが多いこともあって、裏の事情まで含めて10研究室ほど知っています。先生の性格が異なる以上、研究室のシステムはそれに応じて異なります。僕はその中でもよく思い出すのが、僕が学部・修士時代のときに3年間在籍していた研究室のことです。その研究室を、一言で説明すると、先生が根性の人だったので、気合で実験ばかりする研究室でした。例えばどんな特徴があったかといいますと、以下の特徴がありました。
  1. 何か実験で確かめようとしたとき、全パターン試してみるしかないだろうと、先生はいつも言っていました。
  2. 「口より手を動かせ、手を」という哲学を持っていました。何かあったときも、調べるより、まず実験する。考えるより、まず手を動かすことを指示する先生でした。当然ですが、手を動かした学生の方が評価されていました。
  3. 勉強会を学生同士で企画してやろうとしたとき、勉強するのは意味がない、と先生が強く主張していました。
  4. 土曜日に公式のミーティングを入れて、大学の研究室に来ることを要求していました。
  5. 毎週ミーティングがあって、学生は毎週進捗を発表することが要求されました。
  6. 基本的に学生は主に実験をしてデータをとるだけでした。英語論文が書けなくても、先生が書いて投稿していました。
  7. 先生は、3日で博士論文を書き上げたそうです。通算で、その話を5回ぐらい聞きました。
  8. 平日は夜の11時まで、加えて土曜日も夜まで先生は働いていました。
これはですね、先生が気合重視をしていて、先生の気合で物事がうまくいっていたから、まさに研究室もそのような体制になったわけです。やはり人間なので、一度それでうまくいくと、その成功体験を元に、すべてをこなそうとする傾向があります。これは貴重な1パターンで、非常に得難い経験になりました。

僕は研究室を移動したので、以前いた研究室のよさとわるさを含めて客観的に見られるようになりました。もし客観的に何かを見たいのであれば、複数のモノと比較する必要があります。その意味では、研究室を移動するのはお薦めです。

実験補助体制の違い

アメリカの方が実験を手伝ってくれる人が多いです。もちろん手伝ってくれる人が多い方が、成果(論文)は出しやすいです。例えば僕が見てきた、バイオ系の研究室と、共用のクリーンルームの例をあげます。

バイオ系の研究室では、ガラス器具を洗ってくれる人や、よく使う溶液を作って棚においてくれる人がいます。また細胞の培養を代わりにやってくれる人もいます。

共用のクリーンルームでは、基本的に汎用の試薬やワイプ等はなくならないよう、スタッフによって管理されています。さらに廃液は勝手に排出してくれます。試薬がなくなった場合は、電話をするだけで、なくなった試薬を運んできてくれます。装置のメンテナンスもする必要がないです。

その一方で、日本の研究室は、実験を手伝ってくれる人があまりおらず、使う人自身で色々な物事を管理する必要があります。これでは、日本人がたとえアメリカ人と同じ能力だとして、同じ時間だけ働いても、同じ成果(論文)にはつながりませんよね。労働時間が長くなりやすい要因の一つですね。

物に苦しめられる日々 (段ボール探しとクロネコヤマトでの発送)

今日の朝、アメリカのクロネコヤマトを利用して、自分の荷物を、日本に向けて24.5 kg分発送しました。別送品という扱いで送りました。段ボール探しから始まって、荷物を梱包して、税関審査用に書類を埋める作業は、結構時間がかかりました。

まず宅急便を送るために箱が必要でしたが、自宅には、十分な箱がありませんでした。それで荷物が入りきる段ボールを近くのスーパーに行って、もらってきました。Amazon.comで買ったときについてきた箱では小さくて、その中に全ての荷物が入りきらなかったのです。

朝7時に起きて、段ボールを取りにいきました。昨日の夜にスーパーに行ったら、「段ボールは全部機械でCrushされたので、ないよといっていて、朝の7時なら千個はある」と言っていました。それで朝にスーパーに行くと、その時間帯は、品出しをしている関係で、大量の段ボールがありました。店員に、適当に、「Turkey(七面鳥)の段ボールがそこにあるよ」といわれたけど、血がついていたのでやめて、無難なScottの箱になりました。大きさは3辺合わせて140 cmぐらいでしょうか。

それからその段ボールを使って、一生懸命梱包していたら、あっというまに朝9時になり、クロネコヤマトの人(日本人)が自宅にまで受け取りに来てくれました。これは頼んでいた時間きっかりです。取りに来てもらえるのは、だいぶ楽ですね。僕より先に帰国した韓国人は、彼の友人に頼んで車を使って、配送センターまで運んだそうなので。

25kg制限のところを、24.5kgで通過しました。体重計を持ってきていて、ちゃんと測ってました。主要な内容物は、本です。28冊もあります。細かい服を、梱包材に使いました。他に少し面倒くさかったのが、実験用品です。

クロネコヤマトの人曰く、実験用品は例え安全なものだとしても、税関審査にひっかかりやすいとのことです。シリコンウエハーを送るといったら、会社に問い合わせていました。そして正直に熱収縮チューブと書いておいたら、括弧書きで、プラスチックのチューブになりました。こういうときは正しさよりも、無難な方を書くべきですね。

書類を埋めたり、税関を通過するときの説明を受けたので、30分程度かかりました。費用は、全額で$196でした。その場でクレジットカードで払いました。カード社会は便利です。

昨日と今日は梱包と発送で、大量の気力を使ってしまいました。引越しのときは、とくに物の取り扱いに苦しめられますね。所持品がもっと少なかったら、時間と気力をこんなに使うことはなかったはずです。これからも引越しすることは確実なので、もっともっと持ち物を減らす必要があります。逆に言うと、引越ししない人は、物がなかなか捨てられないのかもしれません。